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毎度!よも助です

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夢三題


とりかえしのつかない夢
 
 
借りていた五万円をスーパーに行くときに使っている手提げ袋に裸のまま入れ
返しにいったのだがあがり込んで将棋を指してるうちに忘れてしまいそのまま
持ち帰ってしまったのだった
引き返そうと中を覗くとカラッポだ 底が切り裂かれている
とりかえしのつかないことをしてしまったと激しい動悸に襲われる
そこは電車の中なのだがその友人のところへ行くのに
電車になんか乗っただろうか
それで夢だと気づくのだがとりかえしのつかないことをしてしまったという
自責の念は消えない
その友人から五万円は借りていない
その友人からちょくちょくちょこまか借金していたのは遠いとおい昔のことなのだ
それなのに
うつらうつらと半睡半醒の中
しつこくひつこく執拗に必要にあくまでもかたくなに
ぼくは悔い続けている


ぼけ助の夢
 
 
年を取ると夢まで老いぼれてしまうのか
最近、多感で多汗であった頃に繰り返し見た
落下する夢と追われる夢をまったく見ない
また、まだ頻尿ではなかった時分に何度か見た溺れる夢も
22の時代々木プールで実際に溺れてからは
見ていない
話はそれるが60年生きてきて一度も夢精をしていない
それより先に暇に任せてついついしごいてしまうからだが
そんなことより
今日この頃の、還暦の声を聞いてからの夢には
躍動感がない、精彩がない
ガキの頃には確かにあったリアリテーもない
どんよりとぼやけている
ちょっとどころか大いにピンボケだ
とろとろにとろけてしまった脳ミソで
息の詰まるような夢を見たいと願うのは
厚かましいだろうか
俺達は見る夢からぼけはじめ
それが本体にのり移るのだ


常識から海へ
 
吉行淳之介やつげ義春にならって夢日記をつけようと
枕元にえんぴつとノートを用意した
さあここで今さっきの夢を書きつけるのだと起きかけたが
もすこし続きを見てみようとタイセイヲトトノエタ
夢の続きは見たのだろうか
起きたらみんな忘れてた
それなのにノートを開くと 常識から海へと一行
確かにぼくの筆跡でしるされてある

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あれからさらに五年が過ぎぼくはいま六十一です


夢うつつ
 
あと十年すればぼくは二十八になって、
今でも年寄り臭いといわれるぼくは、もっと老いぼれてしまうのか
結婚して子供くらいいるかしら
あと二十年すれば当然のように三十八で
ああ、あとたった二十年でもう三十八
それでも死ぬのは怖いだろうか、死はもっと生々しいのか
緑は残っているか、資源不足で侵略戦争でも起きるかしらん
地球はあるかしら
あと三十年すればぼくは
ぼくをどうにもできなくて
四十八なんてちゃんちゃらおかしくて
ぼくがぼくに思考停止し
夢うつつ夢うつつ
夢よ醒めろ!
夢うつつ夢うつつ
夢が終わった
@この時五十六歳の自分を想像するのは不可能でしたが、こうして生きているところをみると夢はまだ覚めていないようです

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卒業は確か宇都宮第一東宝階下のニュー東宝で見ました


スカボローフェアが聴こえる
 
青春時代の真ん中はという歌を青春時代の真ん中で聞いた
二日前偶然にケーブルテレビで卒業を見た
ダステンホフマンがスカボローフェアに向かって赤いスポーツカーを走らせるシーンで涙が止まらなくなった
青春時代にはその時が青春とは気づかなかったが青春時代は確かにあった
青春時代の真っ只中
ぼくは二階に寝ていたのだ
素っ裸で横たわっていたのだ
こらえ切れずに泣いていたのだ
こらえようと陰茎を畳に擦りつけたのだ
その時聞こえてきたのがこの曲だ


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今はさほど興味ないですが国鉄時代からのヤクルトファンです


アル中楽天家ルー・ジャクソン
 
ルー・ジャクソン、1935年米国ルイジアナ州に生まれる、昭和41年から3年間サンケイアトムズの外野手として活躍、昭和44年5月17日午前0時5分急性膵臓壊死のため東京西新橋の慈恵医大病院にて死亡、33歳黒人
記録を調べてみると、彼から1年遅れで入団したデーブ・ロバーツの方がずっと上だが、何でもないライト前ヒットなのに素知らぬ顔で2塁へ突進する無謀な走塁と、時折バックスクリーンに叩き込むピンポン玉のように空高く舞い上がるホームランを覚えている人は多いと思う
親類がなかなか現れず仕方なく球団が葬式をだしたが、その時の監督別所毅彦の弔辞は楽天家のルーというフレーズで始まる
楽天家のルー、お前は他国で一人死んでいった
楽天家のルー、お前のディナーはビールに焼き鳥
人は誰もがお前を楽天家という
ひとよんでアル中楽天家
ルーの内臓はめちゃめちゃだった
お人好しのルー、お前は人を疑うことに興味がなかった
お茶目なルー、ホームラン賞のビールを大事そうに抱えて
誰もお前を憎めなかった
誰一人お前の飲酒癖には立ち入れなかった
女好きのルー、堀の内やすらぎ館がお前の寝場所
おとぼけのルー、お前にゃ妻子があったはずだが
ひとはみんな口を揃えて言う、楽天家のルーと
さようなら、あの無謀な走塁で天国の遥か彼方へ駆け抜けてくれ

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今市市日光市藤原町足尾町栗山村が合併して日光市になる前の日光市の歌の作詞者はぼくでした


日光和楽踊りの夜
 
 
動物園で象の鼻の穴を見ていたらボッキしてしまいそれをデートの相手に感づかれどう対処すべきか途方にくれたというスズキヤスオから
大学三年の夏休みは日光プリンスホテルで働くことにしました 伝手があるので君も一緒にどうですか? 
という葉書が届いた
ヤスオちゃんは大学生だがぼくはそうではない
高校卒業後は手を替え品を替えバイトを替えただひたすらふらふらしていた
最初はヤスオちゃんと同じチップがもらえるベルボーイだったが
幾日もしないうちにチップのもらえぬ部屋の掃除にまわされた
あさっては日光和楽踊りだが都合がつくならちょっと降りてこないか
という電話が「サントリーレッドの青春」に登場した真ちゃんからあった
東武日光駅から歩いて二分半のところにぼくの家はあり五キロ北上すると母校の日光高校でさらに進むと和楽踊りが行われる古河電工日光精銅所へたどりつきもっと行けばいろは坂に入り上りきると そこは中禅寺湖でその湖畔に日光プリンスホテルはあった
精銅所が元気だった頃は日光和楽踊りは日光市の最重要行事でその周辺に住む人にとっては正月よりも大きなイベントだった
はじめて冷やし中華を食べたのも和楽踊りの夜だった
やったことないからうまくできねえかも知ンネ
といいながら七十一で死んだ母が作ってくれたのだが
あの晩隣で食べていた少女 あれはいったい誰だったのだろう
和楽踊りの二日間だけ一杯飲み屋に変身する普段は自転車の修理をする店で
あん時のよりおいしい冷やし中華とはいまだ出会えずにいるのだと熱く真ちゃんに語るのだった
櫓に登って俺にも歌わせろと駄々をこねたのは真ちゃんとはぐれる前だったか後だったか
高校生のカップルに絡んだというかちょっかいをだしたのは真ちゃんを捜すのをあきらめたあとだ
胸か尻を触ったかもしれない もちろん女の方のをだ
男が憤怒するのを目の当たりにすると逃げ出していた
だが下駄履きだった 途中で脱ぎ捨てたがあっさり追いつかれぼこぼこにされた
先輩をぼこぼこにするとはいったい如何なる料簡かと憤懣やるかたなかった
制服ではなかったし何の根拠もないがあのふたりは日高生に違いないのだった
後輩にいいようにされたことに櫓で歌えなかったことにぼくは合点がいかないのだった   いつしか日高まで目と鼻の距離になっていた その手前の交番にしけこみいや駆け込み事の成り行きを滔滔と述べ立て男を逮捕すべきだと訴えた
あの時おまわりは二人もいたのにどちらもぼくを相手にしないのだった
そんなこんなで家まで帰るのが億劫になりまたそれは正義に反する気がして
母校の正面玄関の一枚ガラス戸をブチ割ったのだ
門を乗り越えた記憶がないのだがあの当時は門を閉める習慣がなかったか閉める前だったのだろう
肩口を突付かれる感触に目を開けると警官の制服を着た男が立っているのだった
ガードマンの制服を着た男がその後ろでかしこまっている
寄せ集めた机の上に眠っていたのだ
ぼくは三年三組だったがなぜかそこは三年一組の教室だった
九十二で死んだ父は警察に通報した警備員を非難したがマニュアル通りにしたのだろう
手錠こそされなかったがパトカーに乗せられ日光警察署に連行された
呆れるほど長い時間をかけちんたらちっくに調書を取り終えると六十一で死んだ兄が身柄の引き取りに来た
裸足でいるぼくのために持ってきてくれた履物がスリッパなのだった
こうして日本国民であるぼくは日光和楽踊りの翌朝に自らの責任でもって指紋の登録を無事済ませたのである
日光プリンスはそのままやめた
ガラス代の弁償には直接出向いた 知った先生は一人もおらず拍子抜けしたのを覚えている 三千なにがしかをキャッシュで払った
ヤスオちゃんは元気でいるだろか
最後に会ったのは確かM君のおとうさんの葬式の時だった
その前がY君のおかあさんの葬式だ
何を隠そう Y君とはヤスオちゃんのことだ
もう親しい仲間のおとうさんおかあさんはあらかたかたがつきかれこれ五年以上会う機会に恵まれていない
そして折に触れ残念に思うのだがヤスオちゃんが結婚した相手は象の鼻の穴勃起事件の時の彼女ではない

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