忍者ブログ

毎度!よも助です

Home > ブログ > 未選択

スローバラードRCサクセション わが人生の時の曲その2




大森兄弟
 
 
神野敬介という20歳の男を主人公に
某映画専門学校の夏休みの課題として書いたシナリオは
RCサクセションスローバラードの歌詞をそのままなぞりタイトルもいただいた
まったくのパクリだった
兄弟といえばマラソンの宗兄弟飛行機のライト兄弟三味線の吉田兄弟
映画化もされた江國香織の小説間宮兄弟といろいろあるが
ぼくにとって一番身近な兄弟はこのサイトにも何度か登場した
大将ヒロヨシの大森兄弟だ
ぼくと兄貴は9歳違うが大森兄弟は年子だ
大将と知り合って1年半後にヒロヨシが上京して来た時
大将が働く渋谷道玄坂ガード脇の居酒屋「ちっちゃな赤鬼」で、ちょうど
飲んでいたぼくはハチ公前まで迎えに行かされた
そしてそのままぼくのアパートに居候することになった
銀座8丁目にあった天ぷら屋天國でのバイトを21時半で終え
目黒本町のアパートに帰り着いてからシナリオに取り掛かるのだが
時々ヒロヨシが話しかけてくる
すべて女の自慢話だった
親しかったのは大将だったのだがだんだんとヒロヨシの方へ
移行していく
いろいろあったが10年20年と時は過ぎ大将が都落ちしヒロヨシが続き
ぼくもアパートを引き払った
5年前チェンマイからの帰り関空で降りて倉敷に立ち寄り
20年ぶりの再会を果たした
最後まで東京に居座っていた2人の幼馴染みサイちゃんも嫌いなはずの実家に戻っていて3日3晩4人で飲み上げた
その1年後に肝臓をやられてサイちゃんが死んだ
またその1年後には建設現場で作業中居眠り運転のダンプカーに突っ込まれて
大将が死んだ
当時2人は一緒に住んでいてずっと身体を壊していたヒロヨシは大将に
養われる形になっていた
それが有利に働いて何はともあれヒロヨシは一生食うには困らない
身の上となった
そのおこぼれというんじゃないのだろうが
飲ませてやるから倉敷まで出て来いという
墓参りをかね高速バスを飛ばしておととし去年とお世話になった
きっと今年も行くだろう
スローバラードは入選作に選ばれあの「君の名は」の監督元祖慶應ボーイ大庭秀雄をして
ことによったらこの作者は近い将来日本映画界に旋風を
巻き起こすかもしれない、とさえ思ったとその選評で言わしめている
ぼくの人生にもしイケイケドンドンの時期があったとすれば
その時だ
己の可能性をまだ素直に信じていた
ウンコしてやると仲間に見栄を切り横浜駅構内の人だかりの中
実際に脱糞したりした
天國の洗い場に女子高生が2人やって来た
裏口の引き戸を開けた右側にピンク色の上っ張りを着たマル木バツ美を見たその時
目の前がパアーっと明るくなった
正月に帰省中、電話帳で池袋のマル木という消火器やを調べると
すぐに見つかった
マル木バツ美は消火器やの娘だった
マル田バツ子に初めて電話した公衆電話からマル木バツ美に電話して
1月3日に天國と目と鼻の先の喫茶店晴れたり曇ったりでの約束を
取り付けた
ことによればやっと素人と一発できるかもしれない
だが待ち合わせの時間を3時間過ぎても
マル木バツ美は現れなかった
ぼくの人生はずうっとことによることのない人生だった
ヒロヨシの居候は2週間程だったがいつからか彼も天國で
働き出して縁は切れていなかった
ヒロヨシによると
ぼくが待ちぼうけをくらった1週間後にはすでに一発キメていた

拍手[1回]

祭りのあと吉田拓郎 わが人生の時の曲その1




普段通りに
 
 
いかない時がある
普段通りが一番楽ちんなのは
重々承知なのだが
祭りを懐かしく思うことがある
誘われれば応じる
気が付けば祭りのあとだ
祭りのあとは、どうしようにも、どうしようもない、あとの祭りだ
若い頃は心身ともに動揺した
死の恐怖にさいなまれた
人生にいたずらに場馴れした今はそれほどではないが
吐く息が饐え、心臓の脈打ちがこぼれる
普段通りにはいかなくなる
何もすることができず
トイレとめし以外は
体仰向けて心放りだす
もし仕事持ちの身だったらまちがいなく投げ捨てる
俺はそうやって何百という仕事を失ってきた
朝、起きたら、隣に女がいた
なんてことはこれまでに一度もなかったが
朝も昼も夜も真夜中も
普段通りが一番いい

走る酔っ払いよも助がうたう


拍手[2回]

田中小実昌北川はぼくに 好きな小説家と作品その12




川中子はぼくに
 
 
何の断りもなく死んでいったが
よくよくつらつら考えてみれば
誰だって人はみな誰にも断りなく死んでいくのが筋なのであって
現にこのぼくも
何の断りもこだわりもわだかまりもたかまりもためらいも
そしてまためまいも耳鳴りも立ち眩みもなく、心静かに
ひとり
死んでいこうと願ってる


 

拍手[2回]

船戸与一砂のクロニクル 好きな作家と作品その11




肉離れで
 
 
走れない
無理をすれば走れないこともないかもしれないが
無理はしないことにした
最近レースに出てもまともに走れたためしがない
前回のレースは1ヶ月以上前だがそれ以降左の脹脛に違和感を覚えて
ずっと走っていなかった
この前久し振りに走ってみたら途端に肉離れだ
しつこい筋肉痛が喜び勇んでここぞとばかりに肉離れ化したのだ
筋肉痛にも肉離れにもきっと言い分があるはずだ
言い分は聞いてあげるべきものなのではないか
クボタ農機とは〔便宜上俺が勝手につけたあだ名だが〕
おにぎりを売っていたパヤオで知り合った
俺より10歳下で口が上手く首が太くつまり太っていて
2人で酒飲んでバカを言い合えば天下無敵だった
タイ人の嫁さんがいて子供が1人いた
2人目を身ごもっていた彼女が
テラス式カラオケ屋で飲んでいた俺たちに何の前触れもなく音もなく近づいてきて
いきなりクボタ農機の横っ面を張り飛ばした時にはひっくり返った
またおにぎりの店にこっそりやってきて
うちのダンナはああ見えて身体が弱いからあまり誘わないでくれろ
と懇願したこともあった
誘いをかけてくるのは100%農機だったが頷いておいた
クボタ農機には離婚歴もあるのだが相手のフィリピン人は別れた後も
南相馬の実家で農機の両親と一緒に暮らしているのだという
そのクボタ農機に70000バーツ日本円で20万円貸したが10年過ぎた今も
貸した状態のままだ
もう返っては来ないだろう
お互い居所も分からなくなってしまったし
クボタ農機にも言い分はあるだろう
初めのうちは返す気もあったかもしれず
少なくとも少しは俺を楽しませてくれた
その報酬分と捉えているとも考えられる
エークเอกには8000バーツだ
貸したのは15年前でその半年後に5歳年下のエークは死んだ
これまた口から先に生まれてきたような男で
調子いいのも噓をつくことに自覚がないところもクボタ農機にそっくりだった
チェンマイで初めて借りたアパートはタニン市場の裏手にあったが
一軒おいた隣がエークの店で週に5回は通ったものだ
一軒家の貸家には庭もあってそこにジュークボックスとテーブルを置いて
酒を売っていた
ポウムพ้อมというパートナーとビアเบียร์とブンบึงの2人の息子がいたが
出会った当時ブンはまだポウムのお腹の中で
それが今ではワロロットに店を構える30前の立派な入れ墨師だ
エークの店には常時何人かデックスープเด็กเสร์ฟ〔女給〕もいて
金額が折り合えばやることもできたが
ぼくはエークに弱みを握られるのを恐れて貞操を守り通した
エークがぼくとポウムとの仲を疑いポウムを殴りつけた
と教えてくれたのもデックスープの1人だった
知り合って何年かが過ぎるともうぼくの方からは連絡をしない
ようにしていたがある真夜中突然訪ねてきて
ブンが高熱を出したのでチャングプアク病院に来たのだが
現金がない、4000バーツ貸してくれ、と言った
眉唾物だと思ったが貸してあげた
それから2時間後にまたやってきて
足りなかったからあと4000バーツ寄こせ、と言う
貸さないなら梃子でもここを動かないぞという凄みがあった
これで縁を切ることができると結局は貸した
日本に帰り半年働いて戻ってみると
エークはエイズで死んでいた
あの時傍目から症状は見えなかったが
エークは気づいていたのだ
それがエークの言い分にもなる
どうせ死んでいくのなら金をいくら借りたところで
屁にも負い目にもなりはしないと
当時進行を抑える薬はまだ出回ってはいなかった
ぼくは平気でエークの嘘の片棒を担いだし尻拭いも何度かした
エークはぼくをともだちと思っていたかも知れない
きっと嫌いではなかった
ぼくから金を借りる行為そのものが2人の友情の証ではなかったか
肉離れにもクボタ農機にもエークにもそれぞれの言い分があった
とすればこの地球上には70億個以上の言い分が溢れひしめき合ってるわけだ
それを全部受け入れるのは生半可なことではないし
人の道から外れてしまう心配もある
だがそれでもあえてなお
そういう人間にわたしはなりたい


走る酔っ払いよも助がうたう

拍手[1回]

PAGE TOP