忍者ブログ

毎度!よも助です

Home > ブログ > うた

宮部みゆきと将棋指しの小林健二は瓜二つです


キスより簡単
 
 
イチローの全盛期にイチローをコキおろすのは勇気のいる作業だった
今北朝鮮をヨイショするのはスットコドッコイにドエレエことだ
だが3代目は実によくやっている
じいちゃんとうちゃんの言いつけをオウムよろしくなぞるだけ、大の大人が見上げたもんだ
寄ってたかって制裁<リンチ>とは何とも陰湿なやり口だ
核は全廃しない限り誰が何個持とうがおんなしことだ
抑止力など犬も食わない糞食らえだ
11トンの星はどこかへ引き返して行ったが
それよりだいぶ小ぶりのやつは雹を蹴散らし豹よりもチータよりも速いスピードでロシアのどこかに落っこちたのだ
一尺を40センチにしろというのは無茶な相談だが
1ダースを11ないし13にするのはキスをするより簡単だ
その時が来たのだ
1列に並べなければ2列に詰めても3段に積み上げても余白が生じる
俺たちは許し合い、キスをし合い
余白にまどろみ
ネムルヨウニイノルノダ


バナナの木の下で
 
 
バナナと卵は似ている
小さかった頃は高級品で、まるまる一本まるごと一個口にできることはめったになかった
いつの日かきっと思う存分心ゆくまで食ってやるのだと
何度夢想したことだろう
値段もさほど上がっていない
それなのに今は、バナナに限っていえば
フルマラソンを走る前とか
走り続けるのを放棄したあと~ぼくはこれまでフルマラソンに10度出場しうち棄権が9回という市民ランナーの風上にも置けない男だが~給水所で先を急ぐランナーを尻目に
西瓜と交互に頬張るくらいだ
似ていないところもある
卵を見ても別にほっとするようなことはないが
バナナを目にすると、その色形にほっと一安心というか、心やすらぐ
バナナはバカ正直に正義感あふれている
一月二月を日本で過ごすとどんなに用心しようが
必ず両耳のヘリが霜焼ける
そんな所で野たれたくはない
野たれ死ぬならバナナの木の下がいい
<キスより簡単>という詩は実際にバナナの木の下で
つくったのだ

拍手[6回]

PR

これを書いたらずっと忘れていた詩をまた書いてみようと


祈り
 
年を取るに従い月日の流れが速さを増すように感じる事態というか現象は容易に説明がつく
一年間の記憶量を1と定め仮にxそれまでの総記憶量をyとすればy割るxが一年間の速さ年速になるわけで
例えば四歳児が味わう一年の速さは4割る1イコール4年速、ぼくの現在五十三歳なら53割る1イコール53年速                      
ぼくはこの今を四歳の時の4分の53倍のスピードで生きていることになる
もうだいぶ昔に見たテレビだが人類の直接の祖先ではないナントカカントカ原人は感情を持っていなかったのだそうだ
ぼくらは戦後民主主義教育を真っ向から受け止めた世代だが、ヒトと他の動物の一番の違いは感情を持っているか否かによると習ったような気がするのだが記憶違いだろうか、象や豚や猫や家鴨に感情がないとは思えないが感情を記憶を認識する力、あるいは過去と未来に支配される心と言い換えれば納得できないこともない      
ナントカ原人は怒ることもうれしがることも妬むことも悲しむこともないのだから何かを記憶する必要はない
殺しあう必然も道理も義務も権利もな~んにもない
ただ仲間が死ぬと花を捧げて踊り弔うのだそうだ、それは感情から生じる行為ではなく祈りの一形態なのだと、祈りに似た感情をあえて捜せばいとしさではないかと
ナントカ原人にとってぼくが五十三年を消費して発見した光陰矢のごとしの定理は無味乾燥なものとなる
彼らは刹那と刹那の間隙をつまりは永遠を生きたのだから

拍手[6回]

あしたはあしたさ


朝を待つ街
 
 
にぼくはいる
朝は毎日やってくる
ぼくは律儀に息をする
朝を抱えて起き上がり
朝を負ぶって走り出す
朝を跨いで縄跳びし
朝に腰かけ髭を剃る
ぼくが死んでも
朝は飽かずにやってくる
朝が来る街に
ぼくはいる

拍手[2回]

算数は得意でないのでこの詩の中の割合計算には自信ありません


ガラスの破片
 
夜明け前の街を走っていたら犬に咬まれた、その4日前にはガラスの破片を踏んづけている、もちろん踏んづけた時にガラスの破片と確信したわけではない、その3週間後に足の裏からそいつが顔を覗かせたのだ
タイは野良犬の多い国でどこを走っていても犬に吠えられる、特に夜明け前は番犬と野良犬の吠え合い時だ、ぼくの走るスピードは犬に丁度いいようでよく追いかけられたりもする、夜明け前の街を犬に吠え立てられながら走るのは生きた心地がしない、それで何回コースを変えたことか
タイで犬に咬まれたら狂犬病の心配をすることになる、結局ワクチンの接種は受けなかった、何の保険にも入っていないから最低でも2000バーツはかかるだろう、ぼくは自分の命を2000バーツ以下と判断したことになる
いや、これは正しくない、犬に咬まれたからといって100%狂犬病になるわけではない、確率がある、タイに限れば、タイでの一年間の狂犬病の死者数をその一年間に犬に咬まれた人間の数で割ればいいわけだ、その確率で2000バーツを割った値がぼくがつけたぼくの値段だ
いや、これも正しくない、犬に咬まれた時ぼくはその確率を知らなかったのだから確率も自分で見積もらねばならない、そうだ、咬まれたあと走りながら計算していたのだった、傷は血が滲んだ程度だしどんなに高く踏んでも1%だろうと、2000バーツ割る1%、20万バーツ、日本円にして約60万円、まあ60万の命でも地球よりは重いんだし
何かを踏んづけた方の傷は直径0.2ミリほどの小さな孔キズだ、これは何か鋭いものが中に入ってしまったかと疑ったが、翌日久々に靴を履いて走ってみたら何ともなかった、翌々日はバンドエイドを貼って走った、次の日はレースで念を入れてバンドエイドの重ね貼りで走りそこそこの結果をだした
だが、穴はなかなかふさがらない、その日その日でまれにではあるがズキンとした痛みが走ったり走らなかったり、きっとそいつが寝返りでも打つように足裏での姿勢を変えていたのだろう
保健同人社の家庭の医学ポケット版によると、咬まれてから発病まで10日ないし20日とある
リミットは3月11日、毎日数回傷口の消毒を続けてきたが、その日傷の様子がいつもと違った、穴ではなく3ミリくらいの黒い一本の線になっている、なんだなんだとこすってみたらいとも簡単に剥がれて落ちた、ガラスの破片だった、おそらくビール瓶銘柄はLEO
ほっとした、恥ずかしながら、ぼくの人生これからだと一瞬高揚してしまった、3日3晩扁桃腺肥大の部位に突き刺さっていた鰯の小骨がとれた時よりはるかにうれしかった
昔、上の歯が抜けた時は流しに捨て下の歯は屋根にまくと聞いた記憶があるが、そのガラスの破片はタイガーバームの空き瓶に入れ危険物専用にしているレジ袋の中に捨てた

拍手[5回]

高校二年の時の日記をほぼそのまま引用しこの詩ができました


歓喜のうた
 
死んだら何もなくなってしまうんですね、でも今は生きているんです、不安だって苦しくたって何もないよりはまし、心の底からこう考えられたら素晴らしいですね、そう生きていること自体に喜びを感じられたら
小学生の時の出来事を思い出すことはできる、でもその時の心情は思い出せない、やたらとぼんやりするばかりでその時の心情になんかなれっこない、今しかないんですね、今を精一杯やるかどうかは別として、今が楽なのが一番いいです
ただ生きていくより仕方ないのかもしれない、時には平安を持ち、時には押し黙り、時には笑い、時には憤り、ただ漠然と生きていくしかないのかもしれない、不安に満ちた心臓の鼓動を理性で抑えることなどできやしないのだから
それでも死ぬよりはよかんべと軽口が叩けたらどんなにか楽か、人間なんてみんな同じですよね
と、身と心で瞬時に知覚できた時、身も心も歓喜にふるえた

拍手[8回]

PAGE TOP