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毎度!よも助です

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赤木圭一郎幌馬車は行く 好きな男優と作品その3




俺はお前が
 
 
キライなんだよ
反吐が出るほどキライなんだよ
お前がしゃしゃり出てくると虫唾が走る
だいたいお前はエラそうだ
働けだと、働くのは義務だと
ざけんじゃねえ 
働くのは罪悪だ、労働は人を不幸にするだけだ
貧しい俺からさんざんむしり取っておいて
まだ働かす気かよ、気は確かか
もう金なんかいらねえよ
心あたたかい人に恵んでもらうよ
俺がどこで物乞いしようがごたごた言うなよ
学校へ行けだと
ホントは俺ガッコなんか大嫌いだったんだ
行きたかあなかった
俺がこの宇宙のどこで寝ようが俺の勝手さ
俺がこの地球のどこを耕そうが俺の勝手さ
そうだった、俺は自給自足がしたかったんだ
俺の耕す土は、俺の小便を待ち焦がれてる土は
いったいどこにあるんだい
俺を11桁の数字にしたり12桁にしてみたり
やることがせこいんだよ
俺が今市をママチャリで走っていた時だ
パトカーが擦り寄ってきて歩道は危ないから車道に出ろと言った
次の日同じ所を走っていたらまたパトカーが近づいてきて
車道は危険だから歩道に乗れと言った
がたがたつべこべ四の五のうるせえんだよ
だいいちスピーカーの音量でかすぎるぞ
近所迷惑傍迷惑だ
俺はどんなにキライな奴でも殺したいと思ったことはない
ただお前は別だ、刺し違えてもいい
あしただ、あしたの朝5時
ケツ洗ってワセリン塗って
三本杉で待っていろ!

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ポールニューマン左ききの拳銃 好きな男優と作品その2




ビエンチャンアンタッチャブル パート4
 
 
またまたまたまた、何回目なのか覚えてないが
ビエンチャンに観光ビザを取りに来たのだ
で、思うのだがコトバはいらないのではないか
今朝は5時に起きてメコンの川べりを走った
そのつもりだったのできのうは330mlの缶ビール4本とビール3本とに
軽く抑えておいた
朝飯は、菜っ葉の漬物、ナムプリック、ゆで卵を八角で煮込んだ奴、もち米
それとビール2本で32000ギープ
ラオスは押しなべて食い物が高いが安くあげるなら
もち米のある店に限る
予想以上に安かったので気分を良くして持ち帰りに
500mlの缶ビール1本と切干大根もどきのおかず5000ギープを追加した
11時半にチェックアウト
ビザの受け取りは13時半からなので時間潰しにタラードサオと向かい合う
バスターミナルに寄り添うようにごちゃごちゃっと並んでいるめし屋に入って
ビール3本、おかず2品
さて、パスポートを受け取る前にノーンカーイ行きの切符を15000ギープで購入
パスポートが必要なのだが代わりにパスポートの受取証でもOKなのね
この辺ぼかあ旅慣れているっちゅうわけね
1000バーツと引換えにパスポートを返してもらったが
バスが出る15時半までまだかなり時間の余裕がある
領事館を出てすぐそこのホテルのレストランでビアラオを注文したのだが
15000ギープと言われ即、席を立つ
普通は10000ギープ、シップパン、シップパンよ
次に入った店はなんだか得体の知れない店で奥のテーブルでチンチロリンを
やっているのだ、といってもテーブルは二つしかないのだが
俺はビールの他に煙草2本を1000ギープで手に入れる
煙草吸うなんていったい何年振りのことだろう
ラオス側のボーダーではああしろこうしろそうしろと散々注文を
つけられたがここが我慢のしどころとおとなしく指示に従う
で、バスに戻ってみれば何のことはない
まだ手続きを終えていない輩が大勢いる
ふと目を放てば20m先に葉ぶりのいい一本の木がある
別に俺は切羽詰まってはいなかったのだが念の為にと幹にやさしく寄りかかり
小水を投げかける
さてとバスに帰ろうとすればそのバスがいない
そこにもここにもどこにも影も形もない
これはエライことだと69バーツで買ったサンダル脱ぎ捨てラオス日本友好橋目指して
一目散に走りだす
俺は裸足のランナーだ
だがタイ側のボーダーに着くまでに7回も歩いてしまった
案の定バスはどこにも見当たらない
入国手続きをあくまでも冷静に済まし先を急ぐ
ノーンカーイのバスターミナルまで150と吹っ掛けてきた男は無視し
50と言ってきた乗り合い軽トラに乗り込む
女子高生らしい先客が2人いたが50バーツで独り占めはできないので仕方ない
着いたが1000バーツ紙幣が2枚だけだ
運転手に釣りはない
そんなことより俺はバッグを取り戻さなきゃならない
国際バス切符売り場のボックスで切符売り嬢に向かって俺は滔々と事情を
ぶちまけだした
俺を置いてバスは行ってしまった一体全体俺の荷物はどこにあるんでえ
ところがどうだ一体全体ダ、ダ、ダ、ダ、ダ俺のタイ語がまったく通じないのだ
俺に代わって軽トラの運転手が何事か物申し始めた
これも俺には聞き取れなかった、俺は30年タイに住んでいるのに
運転手が俺の左肘を包み込むように捉えた
運転手はなんだか柔らかなのだ そんな運転手に
あっちに導かれそっちに引きずられこっちに着いてみれば
昔懐かしい俺のバスがいるのだった
一番前の座席の下に姪から貰ったL,L,Beanの黒バッグが鎮座していた
さて運転手に料金を払わなくてはならないがまさか50というわけにはいかんだろう
運転手に目配せして俺はセブンのドアをこじ開ける
いやもといセブンのドアは自動であった
ビールで1000バーツを崩そうと思ったがここにはアルコールが置いてない
仕方ないので12バーツのキットカットを買った
運転手の手のひらに100バーツ紙幣を1枚2枚3枚と置いていく
4枚目を乗せようとした俺の右手の甲を彼女の右手がつまんできた
いや正直400はちと多いと感じていたので助かったのだった
コトバはいらないのではないか
俺には少なくともタイ語はいらない、必要なかった
信じればコトバがなくとも国家がなくとも何とかなるのではないか
ここ、とは、ノーンカーイのバスターミナルのことだが着けば必ず立ち寄る店がある
そこの外に出してあるテーブル席に座ってビールを注文して
気づいたのだった
俺はほんとうに久方ぶりに半立ちの状態になっていたのだ


走る酔っ払いよも助がうたう

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マーロンブランド男たち 好きな男優と作品その1




飛び火
 
 
自分で言うのもなんだがガキの頃の俺は繊細だった
研ぎ澄まされた感受性の持ち主だった
一週間に一度は死の恐怖にのたうち回っていた
大江健三郎は「芽むしり仔撃ち」の中で
内臓の押し合いへし合いとその恐怖を表しているが
内臓の外壁と皮膚溜まりの内壁の押し合いへし合いとした方が
的確な気がする
そいつは外壁と内壁の隙間を絞り上げるように
這いずり回るのだった
無論のことその恐怖は脳みそなんかで汲み取れるものではない
俺が小学三年の頃
アメリカの飛行機が北ベトナムに
枯葉剤を撒かない日はなかった
ナパーム弾を落とさない日もなかった
午後の六時台俺んちはNHKを見ることになっていた
天気予報が終われば七時のニュースになる
トップニュースは九分九厘アメリカによる北爆だ
俺はそれを見るのがイヤで素早くチャンネルを替えようとする
意地悪な二人の姉はそんな俺を面白がって押さえつけにかかる
時々俺は泣いてしまった
ベトナムの人に同情しかわいそうで泣くのではない
戦争が拡大し巻き込まれるのが怖くて泣くのだ
同じ頃東照宮の鳴き龍の入った建物が焼けた
明るくなった空が二キロ離れた俺んちの窓からも見えた
こん時も泣いた
鳴き龍の火が飛び火して俺に乗り移り焼けただれるのが怖かったのだ
飛び火といえば俺が二十四五の頃か
新宿歌舞伎町の昌平という中華料理やで出前のアルバイトをしていた時だ
飛び火になった
最初は額にバンダナなんかを巻いていたがそれじゃぜんぜん追いつかない
抗生物質で一発と聞いて病院へ行った
どうせ行くならと信濃町にあった厚生年金病院に行った
マル田バツ子がそこで働いていた
そのあと西新宿の角筈クリニックというところに移ったらしい
だがそれはあくまで噂だ また聞きだ
まだそこにいることも考えられないことではない
この年になって飛び火だなんてまだ俺が少年の心を持っている証拠さ
決めゼリフも用意していたが奇跡は起こらなかった
これってストーカー行為ではないはずだ
飛び火は一晩できれいさっぱり消え失せた
六十二歳の今、俺の感受性は月日の流れに擦り減り鈍麻し
使い物にならなくなった
死の恐怖に襲われるのも一年に一回程度で
長く続くこともない
幼かった頃は、それが永遠に続きどうにかなっちまう
新たな怯えに震えあがり
風呂場に駆け込んでは何べんも何べんも顔を洗ったものだが
当たり前だがあした死ぬ可能性は昔より今の方がはるかに大きい
そのくせ金もないのにのっぺりと快適に一日を送れるのは
すっかり麻痺してしまった感受性のお陰だ
つくづくありがたいと思う


走る酔っ払いよも助がうたう

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梁石日めぐりくる春 好きな小説家と作品その10 




俺は一休〔いっきゅう อิคคิว〕だ
 
 
俺はよも助だが一休でもある
タイのチェンマイのタイ人たちは俺を一休と呼ぶ
ちょっと前まではその辺を歩いていると
あっちこっちから一休と声が掛かったものだ
ちょうど二十歳の時半年間だけ俳優の養成機関にいたことがある
仲間たちは俺をトニーと呼んだ
なぜ彼らは俺をそのように呼ぶのか 呼んだのか
一休と呼んでもかまわない、っていうより呼んでほしい
いくら俺だってトニーと呼ばなきゃぶっ放すぜ
とかなんとか俺自身がお願いしたからだ
どんなに底意地の悪い男でも
凶悪な前科持ちの女でも
他人様からこんなふうに呼んでもらいたいのと頼まれて拒否する
奴はまずいない
~そのフクダさんていうのなんかおかしくない?
ある時マル田バツ子が言った
~じゃあなんて呼べばいいの
と俺は聞いた
~そうね、うーん、やっぱりフクダさんでいい
俺は一度たりともマル田バツ子を
フクダとかレイコさんとかレイちゃんとかレイコとか
呼んだことはないし呼んでみたいと思ったこともない
フクダさんで十二分に満ち足りていた
一休と所かまわず親し気に声を掛けてきた
9割がたは女だ
その半分に見覚えがなかった
といってうろたえる必要はなかった
彼女らの身元は割れている
間違いなく風俗関係の店に従事している方々だ
10年ひと昔、50を少し越えるあたりまで
そうしたところへ足繁く通った
我を忘れるくらいに酔わなければそういったところへ
足が向くタイプではない
彼女らを思い出せないのはそのせいなのだ
ただこの5、6年2回の例外を除けばそうした店には
行っていない
行っても意味を為さなくなったからだ
おかげで一休と呼び掛けてくる者たちも
いなくなった
気がつけばタイ人のともだちもどこかへ
いなくなった
ここらが潮時だろう
今回の滞在を最後にチェンマイは

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藤沢周平獄医立花登手控え 好きな小説家と作品その9




文通
 
 
ぼくの初めてのデートの相手はマル田バツ子ではない
文通相手のMさんだ
高校1年の夏休みだった
送り付けた「しあわせ」という詩が「小学6年生」の4月号に載った
13人の女と1人の男が文通しましょうと言ってきた
その中の4人と文通を始めた
Mさんとだけ1度長い中断はあったがずっと続いた
そろそろ会いましょうかとなった
話が少しそれるが浦山桐郎の「私が棄てた女」の中での
主人公と棄てられる女のそもそものなれそめは確か文通だった
Mさんは千葉県市原市東国吉に住んでいた
どんな道順でどのように電車を乗り換え行ったのかは忘れた
待ち合わせた駅も覚えていない
ぼくはMさんに手渡そうと刷ったばかりの詩集を持っていた
何度か述べてきたように高校に入ると詩集を作り始めた
わら半紙にガリ版刷りしたものなのだが「やぶれた風船」と称した
2冊目のやつだった
結局ぼくはそいつをぎゅうっと丸めて背もたれと座席がくっ付き合う
あの隙間へ強引に捩じ込んだのだった
なぜ、そんなことをしたのだろう
読んでもらうのがイヤになったのだろうか
そんなことはない、詩ができれば手紙の最後に添えていた
あまりにもちんけなモノなのでみっともなく感じ出したのだろうか
でもそいつを商品として堂々と売っていた
捨てるならなぜホームとか車内のゴミ箱に放らずにあんなところに押し込めたのだろう
今考えてもさっぱりわからない
文通を始めた頃Mさんの修学旅行の写真が送られてきたが
集合写真だし何年も前のものだ
自然の摂理として想像を膨らませることになる
電車からホームに降り立ち辺りを見回すぼくにおずおずと
近づいてきた女はそのイメージとかけ離れていた
じきに文通は終わるだろうと瞬時に予感した
それは相手も同じだったろう
ナントカ城址公園を歩きどこかに座ったが
昼飯は食ったのかどうか
どこでどんなふうにバイバイしたのかキレイに覚えていない
ぼくは今も昔もファッションに興味を持てない男だが
あん時の服装は目をつぶってもくっきりと甦ってくる
我ながらダサい恰好だった
Mさんはぼく以上のたくろうファンでもあった
Mさんに会う前のぼくは
彼女と連れ立ってたくろうのコンサートを聴きに行くプロセスを
幾通りも夢想したものだ


走る酔っ払いよも助がうたう

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