忍者ブログ

毎度!よも助です

Home > ブログ > 記事一覧

五木寛之青年は荒野をめざす 好きな小説家と作品その1




暇潰し穀潰し
 
 
ぼくは穀潰しではない、暇潰しだ
ぼくの半生は暇と共にあったと言っていい
そりゃ忙しい仕事に就いたこともあった
残業を4時間5時間としていた時期もある
でも暇を手放そうとはしなかった
弄ぼうと試みた
時間を放置する、そこが暇を弄ぶコツだ
暇は万人に平等に降りてくる
どんなに傲慢な男にもどれほど高慢な女にも
暇は取り付く、暇は人を選ばない
権力が好きな奴らやそれに擦り寄る奴ら
彼らは暇潰しに権力を使いたがるのではない
弄ぼうとそれに取り入るのではない
あいつらは暇が怖いのだ
暇から逃れようともがいてのたうってそれでもどうにもならない自分を
誇示するには権力を振りかざすしかないのだ
暇を愛せないなんてなんてつまらん連中だ
暇の潰し方にはいろいろあるが
ぼく一番の方法は当然酒を飲むことだ
飲み過ぎて意識と共に暇もどこかに行っちゃった
てなこともよくあったが
その余韻を脳みそは覚えていた
そいつが今のぼくを作ってくれたわけだ
残り暇があとどれくらいなのかは知らないが
せっかくの暇だ
丁寧に丹念におまけに慈しんで
潰していければなと願う


走る酔っ払いよも助がうたう

拍手[1回]

PR

羽生はハブで羽生はハニュウだ!




寒い朝
 
 
寒くなった 寒くなってきた ああ起きたくない
あしたもやっぱり寒いのか
寒さがいやで毎年タイに来るのだけれど
タイといえども特にチェンマイの年末年始は
判で押したように寒くなる
下手うちゃ東京より寒いかもしれない
さすがに鋼鉄のような俺の意志もこの寒さにゃお手上げだ
さぼりがちだった朝のランニング大手を振って取り止めた
命よりも大事にしている朝の儀式頭剃りも即刻中止
さっき寒風の中ママチャリ飛ばしインスタントラーメン
10袋を買ってきた
熱々のラーメンであったまろうって寸法よ
あとは寝袋にこんがらがってひたすらユーチューブを見るつもり
昨夜A級順位戦8回戦で羽生は稲葉に敗れ
名人位挑戦の目をほぼ絶たれたが
その勝負を初手から終局まで眺めていよう
人間が引き起こす現象以外の現象には
どうあがいてもどう抗っても俺たちゃ太刀打ちできないのよ
頭を垂れ、ただひれ伏すしかない
そういえば高2の時「雨が雪に変わる朝」と気障なタイトルをつけ
以下のような詩を書いた
寒くなった 寒くなってきた ああ起きたくない
あしたはもっと寒いんだ
寒くなった 寒くなってきた 臍の芯からかじかんで
君がどんどん縮こまる
寒い朝は為す術がない あまりに寒くて 吐息も凍えて
君に振られてしまいそう
寒さに弱いのは嫌いなのは昔のまんまなんだけど
今のおいらには
もうこんな詩は書けねえ


走る酔っ払いよも助がうたう

拍手[1回]

初期高齢者小躍りワルツ




なぜか
 
 
小躍りしたくなってくる
ついこの前のナースチェンマイ大学ミニマラソンも
1キロどころか500メートルも行かないところで
棄権してしまったのだけれど
そのあきらめの良さに決断の速さに
自らが潔く惚れ込んでしまい踊りはしなかったが
スキップ踏んでそのままアパートまで帰ったのだ
還暦を過ぎたあたりから心身がすこぶる快調だ
血沸き肉躍るとでもいえばいいのか
決してくじけたりしないのだよ
そりゃあそれなりの努力が結果を生まないことには
忸怩たる思いもあるが
昔の俺から見れば信じられないくらいに前向きなのよ
それならそれなりの二乗の努力をしようじゃないのと考える
それが実際に実行できるかどうかはまた別の話
俺は有言不実行の男
くじけない上に反省もしないのさ
終わりが近い
うまくすればあと5年でぼくはぼくから解放される
下手しても20年もありゃあ確実に俺は解き放たれる
永遠のやすらぎに
おいらではないおいらが包まれる
前にも書いたが40年前のあるいは10年前のぼくは
今のぼくとはまったくの別人だ
5年後の20年後の俺が今の俺と瓜二つでも
それは他人の空似だ
今のおいらには今しかない
小躍りしたくなるおいらがいて小躍りしたくなる今がある
タンゴじゃなくてワルツな今だ
来年の4月に日本に帰るがもうタイにチェンマイに戻ってくることは
ない
オキナワへ行く
橋の下にテントを張って1日500円で生活する
そん時の俺は今の俺とは赤の他人だが
それを思う俺は間違いなくこの俺だ
つい心浮き浮きして今にもワルツを踊り出しそうな

拍手[2回]

前立腺哀歌




ビールを飲まないと
 
 
どうにもならない
どうにもこうにも太刀打ちできない
禁断症状ではない
悲痛な心からの叫びだ
55を過ぎたあたりから小便が細くなった
いわゆる前立腺肥大だ
きっと順調に拡大し続けているのだろう
62の今、夜中に小便に起き便器に跨っても
~俺の部屋に朝顔はない
小便がこぼれ出すまでに1分はかかる
それも蛇口をギリギリに絞ったようなこぼれ方だ
終わったと思っても終わってはいない
下腹を振り絞って残りを送り出す
1回2回3回4回
10回超えてもまだ滴が滴り落ちる
ああ、勢いのある小便がしたい
このサイトのトップに
ビールを飲むとビールを飲むと小便がどんどんどんどん美しくなる
という詩を書いた
確かに今でもビールを飲めば少しはましになるが
10本飲んでも往年の迫力には欠ける
いくら透明な尿であっても勢いがなければ
美しいとは言えない
かれこれ2週間一滴のアルコールも体内に取り込んでいない
重度の酒乱であってもアル中ではない証だが
~いや上の姉によれば酒乱もアル中のうちらしいから
依存症ではない証左だが
夜中に幾度となくトイレに立ってもちょろちょろと
ネズミのようなしょん便しか出ないなら
そろそろビールに頼りたくもなってくる
前立腺肥大、とうの昔に全面的に受け入れているが
尿意は尿意だけは一張羅の服のようにピッカピカに光っていて
 

拍手[3回]

サンカンペーンラプソディー




たった1キロ
 
 
で棄権してしまった日光杉並木マラソン以来
ほぼ4ヶ月振りにレースを走った
レースを主催するサンカンペーン小学校まで
ぼくのアパートから20キロはあるので
前日の夕方にママチャリに跨って会場入りした
150バーツを支払ってゼッケンを受け取り
係員に導かれ宿泊所となる使われていない教室にたどり着く
当人の姿はないが先客が2人いるようだ
係員は門を出て右に曲がればすぐそこがマーケットなのだと言う
市場の場所まで教えてくれるなんて何てお節介なんだろうと
恐縮したが寝るには早いので行ってみると
それは日本語でいうところの歩行者天国だった
かなりの人出でどこまで行ってもキリがないので引き返す
トマトとプリックキーヌーを買った
学校の対面の雑貨屋兼酒屋でビールを買い栓を抜いてもらって
店先に1個だけ据えられた石造りのテーブルで飲みだす
この時間に教室に戻れば先客2人も帰っていて
いろいろ話しかけてくるかもしれない
それが面倒だった
実を申せば知り合いが昼時にビール抱えて訪ねてきたので
すでに少し入っている
だが3本までならレースに影響はないはずだ
ついさっき目をつけておいたパブレストランっぽい店に移動する
このサイトに「オイさんに捧ぐ」という詩を書いたことがあるが
サンカンペーンはそのオイさんが生まれた街だ
 
 
オイさんに捧ぐ 再録
 
 
今はもうつき合いはないが、昔、ぼくが哲とあだ名をつけた
ぼくよりもだいぶ若いタイ人の友人がいた
哲の彼女がオイさんだった
ぼくは二人を結婚前から知っていたし離婚した後も
知っていた
オイさんには妹と弟が一人ずついて弟はおかまだった
オイさんのご両親と一緒にご飯を食べたこともある
まったくの偶然だが離婚後のオイさんが
ぼくの借りたアパートの敷地内で洗濯屋を営んでいた
時期もあった
ひとは老いる
オイラも老いる
老いをホイルで包みフライパンにオイルはしかずボイルせず
老いを炒るのだが
弾けてはくれない
オイスターソースをぶち込んでも
おいしくはならない
老いては子に従えと言ったところで
オイラに子はない
老いると置いてきぼりにされがちだが
置いていくものは
何もない
哲の糖尿病が悪化してつき合いは途絶えた
オイさんのその後も知らない
オーイ、オイッ!
老いては死に従い給え
 
 
2人と出会ったのは30年前のソンクラーン水かけ祭りの初日だった
正方形の中がチェンマイの旧市街だとしたら
右下外側角っこのソムチャイ歯科が診療所を構えるアパートの4階に
初めて部屋を借りたのだったがその日起きるとどうも様子がおかしい
外がざわついている
出てみるとそこら中人だかりでみんながみんな
水を掛け合っている
ぼくはまだその時ソンクラーンの存在自体を知らなかった
これはいったい何なんだと訝しりながらシードンチャイ通りに出て
現在も「すし一番」の隣にしぶとく生き残っているぶっかけめし屋を目指す
人々はこの騒ぎにまったく無関係のぼくにまで容赦なく水を浴びせてくる
中でもひどかったのはめし屋の斜め向かいに陣取っていた10数人のグループで
ぼくの行く手をふさぐと氷入りのバケツいっぱいの水を頭から
ぶっかけたのだ
まあ結局はめし屋に何度も足を運びビールを買い込んではそれを貢ぎ
仲間に入れてもらって一緒に大騒ぎしたのだったが
そこに哲とオイさんのカップルがいたのだ
オイさんがパーヤップ大学の3年生で哲が2年だった
ぼくは例によって泥酔し哲が部屋まで担ぎ込んでくれたのだが
翌日も翌々日もメンバーはあれこれ入れ替わったが哲と
行動を共にした
だいぶあとになってだが女5人のグループบุโดกันブドウカンが歌う
ขอไหัเมือนเดิมコーハイムワンドーム「そのままでいて」の
プロモーションビデオに登場する女優がオイさんにそっくりだったので
驚いたことがある
オイさんはエレガントという言葉そのものだった
それから数年は哲との密度の濃い付き合いが続いた
飲み合いといった方が適切かもしれない
哲は下手をするとボトル2本を空ける男だった
2人の酒席にオイさんが加わることはなかったが
なんだかんだと顔を合わせる機会は多々あった
プーケットのホテルに就職が決まったオイさんを哲と2人
アーケードから見送ったこともある
1年もしないうちにオイさんは舞い戻ってしまったのだったが
卒業すると哲は結婚しまずマーケティング関係の会社に勤めたが
こまめに職を変えた
ぼくが覚えているのはチェンマイ鉄道駅からすぐの
ニッサンの営業所でその近くで何度か待ち合わせした
チェンマイランドでワインの卸売りをしていた時期もある
離婚したのはその頃だ
その後ナイトバザールを少し入ったところにアンティークの店を開いたが
いつしかレストランに変わり次には改装して郵便物を扱うオフィスになった
この私設郵便業がフリーペーパー「ちーお」に取り上げられたことがあったが
もう哲とは疎遠になっていた
あの当時携帯はなかった
日本へ帰る度に哲の職場とアパートの電話番号は控えていったが
哲は住むところも頻繁に変えたしぼくだって借りるアパートは何度も変えた
だがお互いの行き来が途絶えることはなかった
こちらから連絡せずともチェンマイについて1週間もしないうちに
どこかで偶然に出会うからだ
歩いていると自転車に跨っていると
オートバイをあるいは車を運転している哲がぼくを見つけ
声をかけてくるからだ
もちろんオイさんが一緒のこともあった
覚えているだけでそんなことが6回はあった
チェンマイを訪れた姪を哲のレストランに案内したことがある
哲と会うのは久し振りだった
例によって泥酔し意識不明となるのだが哲は車で
ぼくをアパートへ姪をゲストハウスへと送り届けてくれた
姪は哲さんはいい人だと言ったが
そりゃそうさ、同感だ
哲は貧乏ゆすりの達人だった
いつもピリピリしていた
哲とオイさんにはแตงโมテングモウ「西瓜」という娘がいたが
哲が引き取った
西瓜ちゃんを連れて突然哲がぼくのアパートに現れたことがある
2、3日前にぼくがそのアパートへ入っていくのを見かけたのだという
その頃はチェンマイに来ても哲に改めての連絡はしなくなっていた
小学生になる来年からは親戚に預けバンコクの小学校に通わせるらしい
哲と最後に会ったのは3年ぐらい前だろうか
やはり偶然だった
ターペー門の内側のところでナナハンに乗った哲がぼくを見つけた
近いうちに飲もうよと誘ったが
糖尿でもう何か月も飲んでないのだ
と言ったのだった
それからしばらくしてまた例によって泥酔した時
哲のオフィスに近いホテルのコーヒーショップから
今ここにいるから出てこいと電話したがなしのつぶてだった
今から思えば哲とつるんで飲みまくっていた時期
こうしていればオイさんに会えるチャンスも増えるはず
という下心があったのは確かだ
哲はぼくの本心を潜在意識でもって敏感に読み取ったのだろう
その潜在意識が哲をして
チェンマイの街をうろつくぼくを偶然という形で
発見させたのだ
オイさんの洗濯屋はシリマンカラジャンソイ7ガードスアンゲーオの入り口
ベンチャマアパートの一画にあった
ヒデオ、ヒデオでしょう?わたし、わたしなんだけど
オイさんの方が気づいて声をかけてきた
オイさんは全体的に太ってやつれていた
ぼくが日本へ帰るのが先だったのか
オイさんが店をたたむ先だったのか
どうもその辺がはっきりしない
とどのつまりパブレストランだけで4本のビールを飲んでしまった
酒のせいにはしたくないのでレース結果は書かない

拍手[2回]

PAGE TOP