蒲田狂詩曲
ひとみでーす、よろしくネ、と豊満な体が横付された時、ぼくは恋におちた
あら、ほんとに来た、その一言で深みに嵌った
昨夜、ハワイ蒲田三号店を出る間際、じゃあ、またあした
と、伏線は張ったが、世の中に、自分を含めたもろもろのことに確信があったわけではなかった、連チャンで押しかけるには三個のワンカップ大関が必要だった
ひとりじゃ来れない店、わたしが出なかったらおねえさんお願いしますと言えばわかるから、昼間働いてるという店の電話番号を聞きだし、そこへ三度電話して外で会う約束を取り付けた、だがこの間に一ヶ月要している、ハワイに来ればいつだって会えるじゃない、と言われれば電話はしにくくなる
何か渡したい物があると言ってたわよね、JR東口の噴水前で待ち合わせをし近くの喫茶店で向き合った
二週間前田舎に帰り詩集を作った、わらばんしにガリ版刷りしただけのちんけなものだが、その中にはひとみさんへという最新作も入れてある、それを手渡すとひとみさんは中を見ようともせず無造作に二つ折りにしハンドバッグにしまい込んだ
その時、昼間働いている店はラッキーという名の麻雀店であり、ひとみさん自身が経営しているのだと知った
それからは最初の客が階段を昇ってくるまでのラッキーがデートの場となった
ひとみさんが店に入り一息入れた頃を見計らい電話する、これから行っていい?いいわよ
中に入るとたいていひとみさんは散らかったままになっている麻雀パイをゆっくり物憂げに並べ直している
ひとみさんて、お尻でかいですよね、でも足首は細いし、脹脛は思い切りよく引き締まってますよね、とかなんとかぼくとしては他愛あることを言いながら他の卓のパイを並べ直す手伝いをする、一度掃き掃除をしようと箒を手にしたら、そんなことはしなくていいから、と即取り上げられた
ひとみという名前もラッキーという名もひとみさんが考えだしたものだ
ひとみさんはキレイな顔をしていたが化粧が濃いのが玉に瑕だった、ラッキーにいる時もハワイで働く時とまったく同じ化粧をしていた、素顔は見たことがないが素顔だと人目を惹きすぎてしまう、それを避けていたのではないか
ボクが十九なんて言うからつい二十一とか言っちゃったけどわたしほんとは二十四なの
二十歳の誕生日にひとみさんは焼肉をご馳走してくれた
ごめんね、店を開けないといけないから、ひとみさんが目の前にいた時間は一時間にも満たなかったがぼくは充たされていた、ひとみさんが追加していってくれたビール二本の他に自腹を切りさらに一本追加した
ラッキーはJR西口商店街の中程の雑居ビルの二階にあったが、その近くの蒲田アポロという
映画館と大家が同じで無料招待券をひとみさんから二度貰ったことがある、蒲田アポロは成人映画と一般映画を交互に上映していたが成人映画の回を選びそれを使った
なんだか身上調査されてるみたい、そう言われてから身の回りのことを聞くのは極力控えたが初動捜査でひとみさんは二年前に北海道は札幌から上京したことが知れている、それから一年後に弟が上京、そのまた半年後に母親が上京する、この時札幌の家は処分している、ラッキーを開店したのはその三ヶ月まえだ、ひとみさんは母親と住み弟は別の所にいる、母親も弟も見たことはないがひとみさんがいう弟であろう男の声は電話で一度聞いている
ひとみさんは働き者だ
十一時には開店のためラッキーに入る、日中はどこかの運転手をしている弟と十八時に交代
してハワイに出勤する、零時前に店がハネルとまたラッキーに戻り弟と交代する、閉店は二時の時もあれば七時、八時になることもあった、ハワイだけでなくラッキーも年中無休だった
どうしてそんなに働くんです?と聞いたことがあったが笑って何とも答えなかった
バイトからの帰り道、JRを東口へと降りる階段でひとみさんとすれ違ったことがある、ハワイの勤務を終えラッキーへ戻る時間帯だったがサラリーマン風の男を抱きかかえるようにしていた、男は屈託なく酔い痴れていた、階段を降りきると東口と西口を結ぶ連絡地下道を一気に走り、西口の階段の脇に身を潜めた、ひとみさんは降りてきたが男も一緒だった、そのままタクシー乗り場へと歩き男を押し込め自らも乗り込んだ
おととい見ましたよ、JRの階段男と上がってくるの、バカね、声をかけてくれたらよかったのに、あれからどうしたんですか、家まで送っていったのよ、あれじゃ送らないわけにはいかないじゃない、メガネをかけた貧相を絵に描いたような小男にぼくは激しく嫉妬した、もっと若く背が高く今でいうイケメンだったらどんなにかよかったろう
ぼくの雀荘通いは約半年続いたが日数としては十五日あったかどうかだ
きょうは疲れているからダメ、来ないで、そう言われることが三度か四度に一回はあった、
頻繁に電話をしてひとみさんの負担になりたくなかった、嫌われたくなかった
一月二十二日のひとみさんの誕生日、半年振りにハワイに行った、ひとみさんはもっと驚きもっと喜ぶはずだったのだが・・・・・、それでも閉店後の約束はなんとかできた
JRの駅からなるべく離れたほうがいいと言うのでぼくたちはハワイのある通りを京浜蒲田の方へ歩き出した、いつまでも歩き続けるわけにはいかないので二、三度入ったことのある天城というスナックに落ち着いた
ぼくのアパートこの店のすぐ裏手なんです、でも居候が一人いるんです、福ちゃんていうんだけど調子のいい奴で荷物まで持ち込んで勝手に居ついちゃって、ぼくとしてはこのあとアパートの部屋は使えないぞと暗に仄めかせたつもりだった
その人、起きて待ってたら可哀相じゃない、呼んできてあげなさいよ
でもそいつ、いつも遅いから多分いないと思います
それでもぼくは、天城から歩いて四十秒の大家と廊下で繋がっている部屋数が四つで家賃が八千五百円の武内荘への路地を走っていた
やっぱりいませんでした、入った店はいつかは出なければならない
送っていきます、いいわ、タクシーを止めるから、じゃあ、タクシーを止めるまで、ぼくの方から強引に歩き出した
もうここでいい、とひとみさんは三回言った、もう少し、とぼくも三回言った
ついに痺れを切らし、いや、勇気を奮い立たせ、右手でひとみさんの左手首を摑み、キスしよう、と引き寄せ、キスがしたい、と顔を近づけた、が、強く握っていたはずのぼくの右腕はひとみさんの軽いひと払いで呆気なく振りほどかれた
酔ってるんでしょう、ボク、酔ってるのよ
ひとみさんは小走りに去っていった、ピンクのカーデイガンにスリムのホワイトジーンだった
その後姿がひとみさんを見た最後になった
どの面提げてラッキーに電話し、いったい何を話せというのか
だいぶ経ってから、声をかけるかけないかは棚上げにし、店を開けに出てくるひとみさんを待ち伏せようとラッキーの前まで行ったことがある、ラッキーはフローレンスという名のイタリア料理の店になっていた
その待ち伏せ未遂から一ヵ月後、渋谷にあるグランド東京というキャバレーのダイレクトメールが届いた、二月三十日には北島三郎のショーがあるといったていの案内広告で、その片隅にボールペンで
ボク、久し振り、ハワイ蒲田三号店は閉店になりましたので、現在、ここで仕事しています、NO、77ひとみ
とあった、普通なら仕事していますじゃなく働いていますと書くんじゃないかあ、と頭の中で六回ブツクサしてから、グランド東京に出向いた
ハワイ蒲田三号店の三十倍以上のスペースがあった、ひとみさんは欠勤とのことだった
その日、本番でついたのは安西マリアに似た女で、ぼくは二度飲み直しをし存分にボッキさせたままチークを踊ったが、それはまた別の話だ
だってボクはボクのことボクっていうじゃない
次の給料日の翌日、ふたたび渋谷に出かけた、今度は念のために駅前から電話をいれた
ひとみさんは辞めたとのことだった