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船戸与一砂のクロニクル 好きな作家と作品その11




肉離れで
 
 
走れない
無理をすれば走れないこともないかもしれないが
無理はしないことにした
最近レースに出てもまともに走れたためしがない
前回のレースは1ヶ月以上前だがそれ以降左の脹脛に違和感を覚えて
ずっと走っていなかった
この前久し振りに走ってみたら途端に肉離れだ
しつこい筋肉痛が喜び勇んでここぞとばかりに肉離れ化したのだ
筋肉痛にも肉離れにもきっと言い分があるはずだ
言い分は聞いてあげるべきものなのではないか
クボタ農機とは〔便宜上俺が勝手につけたあだ名だが〕
おにぎりを売っていたパヤオで知り合った
俺より10歳下で口が上手く首が太くつまり太っていて
2人で酒飲んでバカを言い合えば天下無敵だった
タイ人の嫁さんがいて子供が1人いた
2人目を身ごもっていた彼女が
テラス式カラオケ屋で飲んでいた俺たちに何の前触れもなく音もなく近づいてきて
いきなりクボタ農機の横っ面を張り飛ばした時にはひっくり返った
またおにぎりの店にこっそりやってきて
うちのダンナはああ見えて身体が弱いからあまり誘わないでくれろ
と懇願したこともあった
誘いをかけてくるのは100%農機だったが頷いておいた
クボタ農機には離婚歴もあるのだが相手のフィリピン人は別れた後も
南相馬の実家で農機の両親と一緒に暮らしているのだという
そのクボタ農機に70000バーツ日本円で20万円貸したが10年過ぎた今も
貸した状態のままだ
もう返っては来ないだろう
お互い居所も分からなくなってしまったし
クボタ農機にも言い分はあるだろう
初めのうちは返す気もあったかもしれず
少なくとも少しは俺を楽しませてくれた
その報酬分と捉えているとも考えられる
エークเอกには8000バーツだ
貸したのは15年前でその半年後に5歳年下のエークは死んだ
これまた口から先に生まれてきたような男で
調子いいのも噓をつくことに自覚がないところもクボタ農機にそっくりだった
チェンマイで初めて借りたアパートはタニン市場の裏手にあったが
一軒おいた隣がエークの店で週に5回は通ったものだ
一軒家の貸家には庭もあってそこにジュークボックスとテーブルを置いて
酒を売っていた
ポウムพ้อมというパートナーとビアเบียร์とブンบึงの2人の息子がいたが
出会った当時ブンはまだポウムのお腹の中で
それが今ではワロロットに店を構える30前の立派な入れ墨師だ
エークの店には常時何人かデックスープเด็กเสร์ฟ〔女給〕もいて
金額が折り合えばやることもできたが
ぼくはエークに弱みを握られるのを恐れて貞操を守り通した
エークがぼくとポウムとの仲を疑いポウムを殴りつけた
と教えてくれたのもデックスープの1人だった
知り合って何年かが過ぎるともうぼくの方からは連絡をしない
ようにしていたがある真夜中突然訪ねてきて
ブンが高熱を出したのでチャングプアク病院に来たのだが
現金がない、4000バーツ貸してくれ、と言った
眉唾物だと思ったが貸してあげた
それから2時間後にまたやってきて
足りなかったからあと4000バーツ寄こせ、と言う
貸さないなら梃子でもここを動かないぞという凄みがあった
これで縁を切ることができると結局は貸した
日本に帰り半年働いて戻ってみると
エークはエイズで死んでいた
あの時傍目から症状は見えなかったが
エークは気づいていたのだ
それがエークの言い分にもなる
どうせ死んでいくのなら金をいくら借りたところで
屁にも負い目にもなりはしないと
当時進行を抑える薬はまだ出回ってはいなかった
ぼくは平気でエークの嘘の片棒を担いだし尻拭いも何度かした
エークはぼくをともだちと思っていたかも知れない
きっと嫌いではなかった
ぼくから金を借りる行為そのものが2人の友情の証ではなかったか
肉離れにもクボタ農機にもエークにもそれぞれの言い分があった
とすればこの地球上には70億個以上の言い分が溢れひしめき合ってるわけだ
それを全部受け入れるのは生半可なことではないし
人の道から外れてしまう心配もある
だがそれでもあえてなお
そういう人間にわたしはなりたい


走る酔っ払いよも助がうたう

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