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産業新潮社は今もあるのでしょうか?


茅場町


共同ビル三階の産業新潮社に高卒後おやじのコネで入社し
計画通り三ヶ月で辞めるのだが一階には写真やがあった
といってもスタジオはなく受け渡しだけの店だから広さは三畳ほどだ
産業新潮社は産業新潮という月刊誌を刊行し企業の提灯記事を載せては
広告を取る会社だが
名古屋と福岡に支社があり大阪と東京に本社があった
副社長束ねる東京本社は総勢十数人だが
そこに二十七歳の山本さんがいてぼくは懐いだ
一階の写真屋の店番をする佐々木さんは山本さんより一つか二つ下の
女だが二人は仲が良かった
山本さんは共産党のシンパで佐々木さんは党員だった
ぼくはYシャツのカラーや手首の内側の部分が一日で汚れるのが
悔しく許せず首と手首に包帯を巻いて出社した
営業部長の吉村さんが「風邪かい?」と問うので正直に事情を説明したら
それは止めてくれということになり
そこで襟と手首部分の裏側にセロテープを貼り付けたのだった
これは洗濯するとセロテープの糊が黒く残ってしまい常習できなかったが
山本さんと佐々木さんはそうした行為を面白がってくれた
会社を辞めたあとも山本さんとは一年以上連絡を取り合った
また共同ビルから歩いて十分の夫婦でやっているソケット工場に短期のバイトを見つけ
通ったこともある
昼休みになるとぼくは写真やを目指した
カウンター越しに突っ立っていては邪魔になるだけなので
身を屈めて中にもぐりこみ佐々木さんの隣に座って時を過ごした
山本さんが顔を覗かせることもあったが
いったいどんな話をしたのだったか
山本さんとの飲む約束を娘の愛ちゃんが熱を出したとかで
ドタキャンされたことがある
山本さんは佐々木さんに代役を頼んだ
八重洲地下街のうどんやだったと思うが何を食べたのか
酒は飲んだのかどうか、どんな話をしたのか
これまたまったく覚えていない
ただその日は雨降りだった
佐々木さんは傘を手に黒いレインコートで地下街を歩いていた
淺川マキに似てると思った
淺川マキをもっと普通にしたとでもいえばいいのか
で、少しびっこをひいている
「佐々木さん、足が悪いの?」と問うと
「癖よ、せめてびっこでもひかなくちゃとひきずりだしたら
癖になっちゃったの」
と答えたのだった


走る酔っ払いよも助がうたう

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