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サンカンペーンラプソディー




たった1キロ
 
 
で棄権してしまった日光杉並木マラソン以来
ほぼ4ヶ月振りにレースを走った
レースを主催するサンカンペーン小学校まで
ぼくのアパートから20キロはあるので
前日の夕方にママチャリに跨って会場入りした
150バーツを支払ってゼッケンを受け取り
係員に導かれ宿泊所となる使われていない教室にたどり着く
当人の姿はないが先客が2人いるようだ
係員は門を出て右に曲がればすぐそこがマーケットなのだと言う
市場の場所まで教えてくれるなんて何てお節介なんだろうと
恐縮したが寝るには早いので行ってみると
それは日本語でいうところの歩行者天国だった
かなりの人出でどこまで行ってもキリがないので引き返す
トマトとプリックキーヌーを買った
学校の対面の雑貨屋兼酒屋でビールを買い栓を抜いてもらって
店先に1個だけ据えられた石造りのテーブルで飲みだす
この時間に教室に戻れば先客2人も帰っていて
いろいろ話しかけてくるかもしれない
それが面倒だった
実を申せば知り合いが昼時にビール抱えて訪ねてきたので
すでに少し入っている
だが3本までならレースに影響はないはずだ
ついさっき目をつけておいたパブレストランっぽい店に移動する
このサイトに「オイさんに捧ぐ」という詩を書いたことがあるが
サンカンペーンはそのオイさんが生まれた街だ
 
 
オイさんに捧ぐ 再録
 
 
今はもうつき合いはないが、昔、ぼくが哲とあだ名をつけた
ぼくよりもだいぶ若いタイ人の友人がいた
哲の彼女がオイさんだった
ぼくは二人を結婚前から知っていたし離婚した後も
知っていた
オイさんには妹と弟が一人ずついて弟はおかまだった
オイさんのご両親と一緒にご飯を食べたこともある
まったくの偶然だが離婚後のオイさんが
ぼくの借りたアパートの敷地内で洗濯屋を営んでいた
時期もあった
ひとは老いる
オイラも老いる
老いをホイルで包みフライパンにオイルはしかずボイルせず
老いを炒るのだが
弾けてはくれない
オイスターソースをぶち込んでも
おいしくはならない
老いては子に従えと言ったところで
オイラに子はない
老いると置いてきぼりにされがちだが
置いていくものは
何もない
哲の糖尿病が悪化してつき合いは途絶えた
オイさんのその後も知らない
オーイ、オイッ!
老いては死に従い給え
 
 
2人と出会ったのは30年前のソンクラーン水かけ祭りの初日だった
正方形の中がチェンマイの旧市街だとしたら
右下外側角っこのソムチャイ歯科が診療所を構えるアパートの4階に
初めて部屋を借りたのだったがその日起きるとどうも様子がおかしい
外がざわついている
出てみるとそこら中人だかりでみんながみんな
水を掛け合っている
ぼくはまだその時ソンクラーンの存在自体を知らなかった
これはいったい何なんだと訝しりながらシードンチャイ通りに出て
現在も「すし一番」の隣にしぶとく生き残っているぶっかけめし屋を目指す
人々はこの騒ぎにまったく無関係のぼくにまで容赦なく水を浴びせてくる
中でもひどかったのはめし屋の斜め向かいに陣取っていた10数人のグループで
ぼくの行く手をふさぐと氷入りのバケツいっぱいの水を頭から
ぶっかけたのだ
まあ結局はめし屋に何度も足を運びビールを買い込んではそれを貢ぎ
仲間に入れてもらって一緒に大騒ぎしたのだったが
そこに哲とオイさんのカップルがいたのだ
オイさんがパーヤップ大学の3年生で哲が2年だった
ぼくは例によって泥酔し哲が部屋まで担ぎ込んでくれたのだが
翌日も翌々日もメンバーはあれこれ入れ替わったが哲と
行動を共にした
だいぶあとになってだが女5人のグループบุโดกันブドウカンが歌う
ขอไหัเมือนเดิมコーハイムワンドーム「そのままでいて」の
プロモーションビデオに登場する女優がオイさんにそっくりだったので
驚いたことがある
オイさんはエレガントという言葉そのものだった
それから数年は哲との密度の濃い付き合いが続いた
飲み合いといった方が適切かもしれない
哲は下手をするとボトル2本を空ける男だった
2人の酒席にオイさんが加わることはなかったが
なんだかんだと顔を合わせる機会は多々あった
プーケットのホテルに就職が決まったオイさんを哲と2人
アーケードから見送ったこともある
1年もしないうちにオイさんは舞い戻ってしまったのだったが
卒業すると哲は結婚しまずマーケティング関係の会社に勤めたが
こまめに職を変えた
ぼくが覚えているのはチェンマイ鉄道駅からすぐの
ニッサンの営業所でその近くで何度か待ち合わせした
チェンマイランドでワインの卸売りをしていた時期もある
離婚したのはその頃だ
その後ナイトバザールを少し入ったところにアンティークの店を開いたが
いつしかレストランに変わり次には改装して郵便物を扱うオフィスになった
この私設郵便業がフリーペーパー「ちーお」に取り上げられたことがあったが
もう哲とは疎遠になっていた
あの当時携帯はなかった
日本へ帰る度に哲の職場とアパートの電話番号は控えていったが
哲は住むところも頻繁に変えたしぼくだって借りるアパートは何度も変えた
だがお互いの行き来が途絶えることはなかった
こちらから連絡せずともチェンマイについて1週間もしないうちに
どこかで偶然に出会うからだ
歩いていると自転車に跨っていると
オートバイをあるいは車を運転している哲がぼくを見つけ
声をかけてくるからだ
もちろんオイさんが一緒のこともあった
覚えているだけでそんなことが6回はあった
チェンマイを訪れた姪を哲のレストランに案内したことがある
哲と会うのは久し振りだった
例によって泥酔し意識不明となるのだが哲は車で
ぼくをアパートへ姪をゲストハウスへと送り届けてくれた
姪は哲さんはいい人だと言ったが
そりゃそうさ、同感だ
哲は貧乏ゆすりの達人だった
いつもピリピリしていた
哲とオイさんにはแตงโมテングモウ「西瓜」という娘がいたが
哲が引き取った
西瓜ちゃんを連れて突然哲がぼくのアパートに現れたことがある
2、3日前にぼくがそのアパートへ入っていくのを見かけたのだという
その頃はチェンマイに来ても哲に改めての連絡はしなくなっていた
小学生になる来年からは親戚に預けバンコクの小学校に通わせるらしい
哲と最後に会ったのは3年ぐらい前だろうか
やはり偶然だった
ターペー門の内側のところでナナハンに乗った哲がぼくを見つけた
近いうちに飲もうよと誘ったが
糖尿でもう何か月も飲んでないのだ
と言ったのだった
それからしばらくしてまた例によって泥酔した時
哲のオフィスに近いホテルのコーヒーショップから
今ここにいるから出てこいと電話したがなしのつぶてだった
今から思えば哲とつるんで飲みまくっていた時期
こうしていればオイさんに会えるチャンスも増えるはず
という下心があったのは確かだ
哲はぼくの本心を潜在意識でもって敏感に読み取ったのだろう
その潜在意識が哲をして
チェンマイの街をうろつくぼくを偶然という形で
発見させたのだ
オイさんの洗濯屋はシリマンカラジャンソイ7ガードスアンゲーオの入り口
ベンチャマアパートの一画にあった
ヒデオ、ヒデオでしょう?わたし、わたしなんだけど
オイさんの方が気づいて声をかけてきた
オイさんは全体的に太ってやつれていた
ぼくが日本へ帰るのが先だったのか
オイさんが店をたたむ先だったのか
どうもその辺がはっきりしない
とどのつまりパブレストランだけで4本のビールを飲んでしまった
酒のせいにはしたくないのでレース結果は書かない

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