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毎度!よも助です

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地下室はシェルターではありません

地下室 のメロデ イー  変ト短調


家を建て替えたのはおふくろが死ぬ三年前だ
おやじが死んでから何年過ぎたのかおやじに対する感情に変化はないが
前の家の茶の間の掘り炬燵の下はおや じが作った地下室になっていて
クリスマスだ正月だ誰それちゃんの誕生日だといってはパーテイーをして重宝した
トの誕生会の時、トは子守を頼まれたのだと姪だという三歳位の少女を連れてきて
ああだこうだとことあるごとに少女の口に舌を差し入れてみせるのだった
トは二十歳を前に六方沢から身を投げた
この地下室でのパーテイーの音頭を取って段取りするのが手塚の光ちゃんだった
光ちゃんとは小学4,5,6年中学2,3年と同じクラスだったが親友宣言をする程の仲ではなかった
それなのに何かしらのイベントがあるとぼくの隣には必ず光ちゃんがいるのだった
小学5年の時、取っ掛かりは忘れたが
じゃあ行ってみんべかと浅草まで行ってしまった
花やしきで遊び寄席を覗きバナナの叩き売りに聞き入り露店でがま口とドライバーセットを買い
帰ってきた
日光浅草間が¥220だった
ぼくらの学年は4クラスあった、例えば6年4組はサッカーが強くベーゴマなら我が6年1組で
その双璧がぼくと光ちゃんだった
総合力ではぼくの方が上だったと今でも自負しているが
空中っ取りだけは敵わなかった
おまんこのやり方を教えてくれたのも光ちゃんだ
手塚左官店の惣領である光ちゃんの説明は微に入り細に入り具体的で
その口からゴッピョウという言葉が飛び出すごとに
ぼくは身構えざるを得なかった
だが未だにゴッピョウが何を指し示すのか正確なところはわからない
中学2年の時には、県大会に出場したバスケット部の応援に県体育館に行ったのだが
いつの間にか二人は後楽園で世界水上大サーカスショーを見ていたのだった
帰り、宇都宮から先の電車がなくなってしまったのだがそのあとどうしたのか
はっきりした記憶がない
3年の運動会の仮装ムカデリレーでは同じ組になった
ぼくらは手塚左官店の倉庫に立て篭もり
黄色いヘルメットに黒テープで革マルとか中核とか貼り付け
セメントのこびり付いた角材を引っ張り出し
パレットの裏に脱ぎ捨てられてあった地下足袋を掻き集め
それらを身につけ、これは各自が持参したタオルで口元を覆い
走った
手にした角材のせいでスピードには乗れなかったがまちがいなくぼくらが一番受けた
三十歳の前後頻繁におもらしをした
トイレに間に合わなかったりおならのつもりがビチグソだったり
我慢の限度を超えているのにトイレを目指すから
便所にたどり着いた途端、はたまたパンツを下ろした瞬間にやってしまう
ままならぬ肛門は信用せず野グソならぬ街グソで対抗した
駐車場の車と車の間に身を潜めあるいは側溝に屈み込んで
ぼくはその後も、マレーシアのマラッカでタイはチェンマイ郊外チェンダオでラオスビエンチャンメコン川沿いの草叢で二度、アジアを股にかけ街グソをキメテいる
その日は街グソさえも間に合わず仕方なく最寄の公衆トイレに押し入りパンツを脱ぎ捨て
水洗の水でケツを洗い
歩いているとクラクションに呼び止められた
振り返ると手塚左官店の軽トラから光ちゃんが顔を覗かせていた
正直に、実は今さっきもらしてしまったのだと打ち明けると
ならこれから俺んちで飲むべと云うのだった
その時、光ちゃんの奥さんを初めて見たのだがまったくのタイプで
うっかり漏れそうになるのをじゃなかった惚れそうになるのをぐっとこらえた
このことよりあとだったかさきだったか仕事先の岐阜県で光ちゃんが足場から落ちて
死んだ、というニュースが走った
実際のところ光ちゃんは奇跡的な復活を遂げるのだがそのせいで一気に太った
だが果たしてその正体は、あの地下室のパーテイーの頃と
寸分違わぬメロデイーなのだ

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小林様田辺様どうか末永く仲睦まじく


雨音はチョメチョメの調べ
 
 
ぼくの精通は遅く高校一年の時だったがそれからはその遅れを取り戻すべくかきにかきまくった、天使の誘惑や雲に乗りたいを歌っていた頃の黛ジュンの太股でいったい何回かいたことか
自分だけの部屋を持ったことのないぼくが壁に貼ったポスターは一枚しかないがそれは黛ジュンではなく小林麻美だった、小林麻美がいわゆるぼくのアイドルだった、小林麻美でかかないのは彼女を穢したくないからだと一応取り繕っていたが本当は小林麻美ではどうにも興奮できなかったのだ
高校に入ったその日に卒業したら最初の給料でソープランドに行き童貞を捨てる誓いをたてそれをまっとうしたのだからぼくは貞操観念の強い少年だった
上京して数年後に新潮ナントカカントカ<じゃなくて月刊カドカワだったかもしれない>という月刊誌が創刊され渡辺淳一が対談のページを持っていたことがある、それに小林麻美がでた、終わったあとまずまちがいなく渡辺淳一は口説き小林麻美は袖にしたはずだ、その対談でわたしは今じゃがいもみたいな男に恋をしていると告白している、それがザ・スパイダースのドラム弾き、田辺エージェンシーの社長田辺昭知だった
中島らもはコントもエッセイもすごいが小説はこれはすごい小説になるぞなるぞと思わせておいて破綻させたりする、中島らもを中島らもたらしめたのは酔って階段から落ちて死んだことではなくクスリで留置場にぶち込まれてもまったく日和らなかったことだ、清水健太郎がエライのは懲りないからだ、法律がある以上法律は守るべきという固定観念が染み付いてるぼくはマリファナをつきあいで二三度ふかした経験しかなくえらそうには言えないが、たった一度それも大麻で挙げられただけでしょげ返ってしまったスーパースター某某には落胆した
せっかく法律があり国家があるのだから同国人同士のまたは同じ民族間のおまんこを禁ずる法律を各国が作ればいいのにと思う、ついこないだまで南アフリカには背徳法があったのだから不可能なことではない、そうすれば血が混じり合い色も匂いも臭いも観念も混じり合いすこしは戦争が減るのではないか
同級生のチョメチョメさんは高校一年の時すでに高度な性的技巧を身につけているとの噂があった、高校二年の時遠藤賢二や古井戸や泉谷しげるの出演したコンサートを宇都宮まで観に行ったら前座としてチョメチョメさんが颯爽と登場し五つの赤い風船の母の生まれた街を歌ったのだがうまかった、こんなにうまいのになんでおまんこに走ってしまったのか訝ったがハイレベルなテクニックがあったからこそ魂を揺さぶる歌が歌えたのだと今ならわかる
黛ジュンであれほどかくエネルギーがあったのだから直接本人のもとに押しかけ一発やらせて欲しいとお願いすればよかった、限りなく100%に近い確率で拒否されただろうがその事実を手がかりに新しいスタイルというかパターンを発見できたはずだ
固定観念と貞操観念で凝り固まったぼくが少しだけ性におおらかになれたのは皮肉なことだが穴に入れたいという欲求がなくなってからだ、もう三年以上女の穴にも男の穴にもこんにゃくに切り刻んだ穴にも入れていない
フリーセックスという語感だけで、新聞の見出し広告の樹まり子という活字だけでイッテしまった、いや、先走り液でいとも簡単に濡れそぼってしまった昔がなつかしい
チョメチョメさんは斜向かいの席に座っていたこともあったのだから勇気を振り絞りほんのひとなめでいいからなめて貰えないだろうかと一度お願いすべきだった、これも拒否された公算大だがもしかしたらひょっとしたらほんとうにひとなめしてくれたかもしれない、としたらぼくの人生はまったく別なものになっていた
世の中を楽観的に見れば、国家がなくても言葉がなくてもじゃがいもがなくても、小林麻美は田辺昭知と出会い一発やっただろう、何千回も何万回もやっただろう

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どうかテントを張るのに最適な橋の下がありますように


まるで夢のような生活
 
 
はっきりいってしまおう
おいらこの4月から年金が貰える身の上になった
さあこれから、ものごころがついてからひそかに思い描いていた
夢の生活が始まる
受け取れるのは月々2万5千円でしかないが
もう働きなんかはしない
タイに少し貯金がある
それを円に換え、オキナワへ行き
テント生活を始めるのだ
橋の下にテントを張り、朝になればそこいらを走り
前を流れる川に身を浸し
髭を剃り頭を剃る
ママチャリにテント寝袋を積んで図書館へ行き
こめかみがかみあわなくなるまで
<カラマーゾフの兄弟>を読み耽る
閉店間際のスーパーで60%引きの弁当を二つ買い
サービスのお茶で一つをそこで食い
またテントを張り、蛍の光で、いや月明りもしくは橋を照らす
水銀灯で、借りてきたたとえば<井上靖>の<北の海>を再読し
取り返しのつかない昔をもてあそぶ
そして残りの弁当を食らい
ぼくは静かに目を閉じる

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ノーベル賞を受けようと受けまいとフリーホイーリンのジャケットは素敵です


ランのニュースを聞いてすぐ、王様が死んだとだれかがいった
 
 
というメールが日本にいるマギーさんから届いた
なんでマギーと呼ばれ出したかについては諸説あるが
いつもどぎまぎしてるからというのには説得力がある
マギーさんとの付き合いは長い
ぼくがタイに滞在してる間にやってきて一週間か10日飲みあげるのを恒例にしていた時期もある
バンコクはバンナーにひきこもっていた時も
パヤオでおにぎりを売っていた時も
チェンマイで酒に溺れていた時も
マギーさんは現れた
数年前回線の状態が悪くて彼との電話が途中で切れた
それを機会にぼくは意図的に連絡を絶った
メールには他のことも書かれてあったが
その一行だけが太字で見えた
これが詩なんだと思った
そうだった、思わずつぶやいていた
王様は死んだのだった

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お金はいらないといって働かせてもらったのだがほんとうに交通費しかくれませんでした


牛舎
 
牛舎は臭い
五十頭はいる大きな牛が次々と迫力のある放尿放糞をし、ぼくの一週間分位の糞を一度に出してしまう
ぼくは毎朝五時半に起きちびた竹箒でもってそいつを始末するのだ、夕方の四時にもそれと同じ事をする
時々、尿と糞に存分にまみれた自由奔放な牛の尻尾に顔を激しく殴られながら
ぼくは十日間、電話帳にあった牧場に押しかけ殆ど声を発することなく働いてきた
ノン子ちゃんはどうしているだろう
林さんはあれからも一日欠かさず五時半に起きて、林さんより大きな奥さんの愚痴に合いの手を入れては、躍動感溢れる指使いで乳を搾っているのだろう
呑気なノン子能天気
と、奥さんはノン子ちゃんを起こすのだったが
まだ二ヶ月と経っていないのに赤い屋根の牛舎は十年も昔に行ってしまったし
あれほどイヤだった牛舎の匂いも忘れてしまった
あの時着ていたヤッケを着ても帰ってきてすぐに洗濯したから匂いなどしない

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