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毎度!よも助です

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こんなにやりきれない詩は書きたくなかった

諦念
 
 
 
夕べのことは水に流そう
側溝に流した舐め終えたアイス棒みたいに
 
おふくろは覚えているだけでばあちゃんの苛めに耐えかね二度家出している
一度目はイザワさんちへ二度目はヤマコシさんちへ駆け込んだのだ
その道中は永遠のように感じられたが ナニ はいはいでも行ける距離だったのだ
一山離れた実家にまで逃げ帰るには背中のぼくが重すぎたのだろう
いつだって心配事で満腹だった母は
夕べのこともあしたのことも もろもろのことともろもろのものを
垂れ流しにするしかなかったのだ

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この前久し振りに会った下の姉は「だって周りがみんな泣いているんだもの仕方なかったのよ」と言い訳しました

 
 
ばあちゃんはおっかない人だった、機嫌が悪いと軒先に井の字に積んである二十センチほどの薪を問答無用でまだ幼稚園児のぼくに手当り次第に投げつけるのだ、逃げると見るや物干し竿を薙刀のように構え、薪タッポ背負ワセッツ、と言いながらどこまでも果てしなく追いかけてくるのだ
おやじは人の意見には耳を貸さず死ぬまで我を通したがばあちゃんには頭が上がらなかった、目を覆い耳を塞ぎたくなるような嫁いびりをその目で見その耳で聞いても何も言えなかった、湯呑みを箪笥に投げつけお膳を引っくり返しスイカを土間に叩きつけるだけだった
小学校に上がるか上がらないかの頃、畳を裏返したらばあちゃんのへそくりが出てきた、どうして裏返そうなんて気になったのだろう?神の声を聞いたのだとしか答えようがない、千二、三百円あったが使いでがあった、親しくもない近所の誰それちゃんに大福を奢ったはずだ、約半分使って親の知るところとなり没収されたがばあちゃんには怒られなかった、ショックで寝込んでしまったからだ
お風呂を埋めるのは命懸けだった、どうにもこうにも熱くて入れずばあちゃんに気づかれないよう水量をぎりぎりに絞り鼻歌でカモフラージュしながら埋めていたらどう嗅ぎつけたのか猪の如く飛び込んできて、このでれすけがと背中を引っかいたのだ、そこはみみず腫れとなり長い間湯に浸かると沁みた、悔しくて風呂場の壁のトタン板にえんぴつでばあちゃんのバカと書いた、トタンにえんぴつで書いた文字は消しゴムでは消えない、石鹸で洗い流してもシンナーで拭き取っても消えない
ばあちゃんは東京オリンピックの年ぼくが小学三年の時死んだが、小学六年の時に風呂場を建替えるまでえんぴつの字が色褪せることはなかった
ばあちゃんの葬式で泣かなかったのはぼくだけだ、兄と上の姉はともかく、ついに死んだと共に手を取り喜び合った下の姉まで泣いたのには裏切られた気がした                          寝たきりになってからばあちゃんは下の世話をお袋以外の人に託すのを拒んだが、そんな理不尽な身勝手が罷り通ったのもおふくろが甲斐甲斐しく看病したからだ
そのおふくろがさめざめと泣くのを見るのはもどかしく歯がゆかった
五十を過ぎてから、ゆで卵の薄皮を剥がすような感じでわかってきたことがある、ばあちゃんの血はおふくろには流れてないがぼくには流れているということだ、おやじとおふくろに血のつながりはないが、おやじの血は、今もぼくを脈打っているのだ
消しゴムでいくらこすってもトタンに書いたえんぴつの字は消えない、ビールをあさってまで飲み続けてもこの血が薄まることはない、ばあちゃんとおやじは貧乏人根性の塊のような人間だったがその血がぼくにも流れている
それに気づいたからといって二人に対する感情に変化があったわけではない、自分以外の者を認めようとしないのも貧乏人根性の為せる業だ
この血とおさらばするには死ぬしかないが、それも満更じゃないと思えてくるからふしぎだ

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その封筒の表に「かあちゃんへ」と書いたつもりが急いでいたため「かちゃんへ」となってしまいました    

八間道路へ
 
かあちゃんの帰りが待てなくて毎日毎日ねえちゃんと名無し坂またいで八間道路へ
畑に出かけたかあちゃんを涙ながらに追いかけて百円入れた封筒を涙こらえて渡したっけ
めしを炊く朝の匂いに目が覚める
土間にいる母の姿にほっとしてのどに乾きがやってくる
かあちゃん!ひしゃくで水

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その掻巻はぼろぼろにこぼれ始末せざるを得ませんでした

判で押したように

                   
 
ビールを5本飲むと判で押したように意識が飛ぶ
ウイスキイを1本空けると判で押したようにその翌日を棒に振る
掻巻にくるまると判で押したように母をしのぶことになる
ぼくんちは貧乏だったが、総中流化の流れに乗って高校生になった頃
中流の尻尾にぶら下がった感覚があった
その頃からぼくが35の時に死ぬまでが
母の生涯で唯一時間に余裕のあった時期ではなかったか
小さい頃小説を読む母の姿は想像すらできなかったが
ツボにはまったやつに出くわすと一気に読み上げてしまうのだ
高卒で上京し30を前に荷物を実家に引き上げるまでに7度引っ越した
掻巻の裏地を替えに出てくるのを母は年中行事にしていたから
都合八つのアパートのぼくの部屋を訪れたわけだ
掻巻を繕う母を目にして、タッパに入った稲荷寿司やきゃらぶきやたらのめの天ぷらを
肴に飲むのは、贅沢なひとときだった
10代から何度か問題を起こしたぼくの飲酒を母は快く思っていなかったはずだが
その日は特別のようで、ひどい二日酔いでお茶でお茶を濁していたら
なんだ、きょうは飲まないんかと不満げにいうので、あわてて自動販売機に走ったのだった
母は自分のことを語る習慣を持たない人だったから
どのような少女時代を送ったのかよく知らないが
長女でもあったし、責任感の強い少女であったことはまちがいない     
そのころ働いていた物産店での旅行を一番の、掻巻上京をその次かその次あたりの
楽しみにしていたようだ
ひでおのお陰で東京中見ることができたと、7回か8回聞いた
中学生の頃まで母と二人で歩くのは気恥ずかしかったが、社会人になったらそんなことなく
待ち合わせ場所の西口改札や三番線ホームや北口出口へ、時には自転車で時には徒歩で
いそいそ出かけて行ったのだ
日本酒を一升空ける時は判で押したように8合目あたりで一度吐く
何かの拍子で母が死んだ日に視界が開くと判で押したように
はんだ付けされてしまったように
ぼくは動けなくなる


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あの時ぼくは35でした

ナワトビ
 
いとしい人が死んだ
橋から飛び降り水の溜まりにはまって死んだ
ぼくは堤でナワトビをしていた
位置関係からいってその人は、飛び降りる直前にナワトビするぼくの後姿を目に収めたことになる
ぼくはナワトビをする、きのうもしたし、きょうもしたし、あしただってする
いったいあと何回飛べば、ぼくは地球を一周し
あの人を、抱きかかえられるか

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